雷句誠先生と小学館の編集者の問題について
片方からの一方的意見なので、静観という人は非常に全うだと思う。
でも私は自分の経験上、ハラスメントに敏感な側を無条件に支持したいと思う方だ。というのは人間疲れれば些細なことが気になり、さまざまなトラブルが起きやすいものだ。だから敏感に感じる方がおかしいという風潮が、好きでないのだ。敏感な人も受け流せる人もいるから、受け流せるのが良いとは一概に言えないと思うからだ。敏感な人もいていいのである。
そういう人もいるから、立場が上の側は接する者に対し、細心の注意が必要なのである。
今でこそセクハラ・アカハラ・パワハラ・ドクハラという言葉が認知されて、職場のハラスメントの対策をきちんと内外に提示するのが当たり前になってきたけれど、私が若い頃はほとんどそういう視点にはなく、組織の中でいじめが横行しても泣き寝入りがほとんどだった。
大学の時、すごく嫌みをいう教授がいて憎んだが、私はとりあえず相手に合わせたふりをして通した。けれど、それ前にも自殺者が2人を出ていたし、セクハラを受けた先輩もアカハラをうけた後輩も泣き寝入りしつつ、長い間心に深い傷を負っていた。その後、15年後くらいに、彼は在学中の学生に数件訴えられ、有罪となり懲戒免職になった。。。。
自動車学校の教官にも酷いのがいた。。。皆さん、そういう経験ないですか?
新任だった頃、中年上司からの嫌みが嫌でしょうがなかったが、けんかしつつ頑張ったら1年経ったらあまりかまわれなくなった。何のことはなく、次の年の新任のかわいい子が来たら彼はその子に夢中になって、あれこれ私の時と同じようにいちいちちょっかい出す。私への対応が悪かったと気づかないので、同じ事をまた若い子にしてしまう。たまたまその子が仕事はできないがぽわーんとした子で、上司のいいようが気にならなかったようだが、そのまた次の年の新任は私以上に敏感な人で、職場に執着がなかったのもあって、公然と抗議した。その上司は転勤になった。
だんだん、世の中に理不尽な扱いを受けたことをちゃんと言う人が増え、少しずつ意識は変わっていると思う。
私自身敏感な方で、理不尽だと感じる場面によく出くわす。某大学病院は酷かったよーー;そういう時、理解してくれる人がいて欲しいと思う。だから、自分はそういう場面を見かけたら、割と静観はしない方なのだ。静観が一番、賢いとわかっていても。
最近ネッ友さんが公の機関から、えん罪のように理不尽な扱いを受けたと相談された時も、静観するべきだったかもしれないけれど、あえて励ましを送り、静観ではないというスタンスをとった。
そういう人のがんばりが、少しずつ世の中を変えていくことも確かだから。
犯罪被害者に対する人権意識が変わったのも本村さんが頑張ったからだ。
日本の労働者はバブル崩壊以降、格差社会になってきて、より脆弱になっている。
雷句先生のように傷つきながらも必死に思いを訴えている若者の声は、貴重なものだ。
それを聞ける寛容さを企業は持って欲しい。
いずれ古い体制を維持しようとする流れを、変えようとする者が現れるのは時の必然だったと、大人の対応ができることを期待したい。